ストーリー

『フランキー・ヴァリ&ザ・フォーシーズンズ 物語』

 なんてすごい話だろう。フォー・シーズンズのリード・シンガーとして1962年に有名になったフランキー・ヴァリは、21世紀に入るとそれまで以上に人気を博しているのだ。フランキーと彼の伝説的グループの人生とその時代を描き、トニー賞を受賞したミュージカル「ジャージー・ボーイズ」の爆発的な成功のおかげで、「Big Girls Don’t Cry」(邦題:恋はヤセがまん)や 「Walk Like a Man(邦題:恋のハリキリ・ボーイ)」、「Rag Doll(邦題:悲しきラグ・ドール)」、そして「Can’t Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」等の代表的傑作も再び大人気となっている。ブロードウェイで7年連続の大ヒットを記録した作品を引っさげ、ラスベガスからロンドンまで毎夜ジャージー・ボーイズに出演している他の5人の俳優と共に、フランキー・ヴァリ本人も世界中を渡り歩いている。フォー・シーズンズ初のヒット曲「Sherry」の50周年を記念して、フランキーはアメリカでの多忙なスケジュールをこなしつつ、2012年にはイングランド、オーストラリア、ニュージーランドでのツアーを敢行する。

 現在の大人気に刺激を受けて、フランキーは自分をスターにした10年間に敬意を表して15年ぶりに新しいスタジオ・アルバムを作った。「Romancing The ’60s」の中で、彼はいつもレコーディングしようと思っていてなんとなく機会を逃していた自分の好きな60年代の楽曲のいくつかに自身の解釈を加えた。フォー・シーズンズのオリジナル・メンバーでフランキーの長年のパートナーであったボブ・ゴーディオがプロデュースしたこのアルバムには、「Spanish Harlem」や「Call Me」、「Take Good Care of My Baby」等の珠玉の名曲の印象深いニュー・バージョンが収録されている。そしてこのアルバムには「ジャージー・ボーイズ」の4人の若きスターが参加し、うってつけの曲「On Broadway」でバックボーカルを務めている。「ジャージー・ボーイズ」ブームの真っ只中で発売された「Romancing The ’60s」は、フランキー・ヴァリの半世紀に渡るレコーディングの歴史の中で最新の最高傑作となった。

 しかし、フランキーがカムバックした、という言い方はしないで欲しい。実のところ、彼は決して一度も表舞台から姿を消してはいない。確かに、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズのチャート入りした(トップ40に入った40曲、トップ10に入った19曲、No.1になった8曲を含む)71のヒット曲の大半は、1960年代のものだが、音楽そのものが消えたわけではない。彼は1962年からほぼ継続してツアーを行ってきたし、彼の曲は、「ディア・ハンター」や「ダーティ・ダンシング」、「ミセス・ダウト」、「陰謀のセオリー」、そして「ワンダラーズ」といった多くの映画で使われている。ナンシー・ウィルソンのジャズ・アレンジからローリン・ヒルのヒップホップ風リメイクまで、200ものアーティストがフランキーの「Can’t Take My Eyes Off You」のカバー・バージョンを発表している。

 フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズは、多くの偉大なレコーディング・アーティストに影響を与えてきた。それは、フォー・シーズンズの新しいボックス・セット「Jersey Beat」に収録された数十曲の新しいトリビュート曲においても見て取れる。例えば、バリー・ギブは、「僕にとってのフランキー・ヴァリは、我々の世代を象徴する声の一つになっている。深い感情を表す地声から力強いファルセットまで、僕たち誰もが今でも見習うべきスタイルを生み出したんだ」と言う。ビリー・ジョエルは、「僕は『Rag Doll』の裏話的な曲として『Uptown Girl』を書いたんだ。僕はずっと前からあのレコードが大好きだった」と言う。そしてブライアン・ウィルソンは、「60年代前半のフォー・シーズンズは僕の大好きなグループだったよ。彼らは素晴らしかった。声の調和が最高だった。彼らと競い合うことで僕も必死になれた。彼らが良い曲を作っていたので、自分も頑張ろうと思ったんだ。彼らの音楽を越えようと思いながら僕はピアノに向かっていたんだよ」と言う。

 フランキーの音楽にはあらゆる世代の若者が立ち上がって、踊りたいと思わせるような力がある。ディスコ全盛の時、フォー・シーズンズは「Who Loves You」で大ヒットを飛ばし、それは1975年に3位を記録し、そして「December 1963 (Oh, What a Night)」では1976年のレコードNo.1を獲得している。大西洋の向こう側では、アメリカではヒットしなかった「You’re Ready Now」や「The Night」がイングランド北部のダンス・クラブから火がつき、ヨーロッパ中でメガ・ヒットを飛ばした。それから20年後の1994年、「December 1963」のクラブ・リミックスがアメリカのBillboard Hot 100の14位にまで上昇した。2000年には、「December 1963」のフランス語のラップ・バージョンがパリで1位を獲得した。そして、2007年7月、フォー・シーズンズの1967年のヒット曲「Beggin’」のリミックスが英国のダンス・レコード1位となった。それは、2008年3月にロンドンで「ジャージー・ボーイズ」が上演される8ヶ月前のことだった。ちなみに、このミュージカルは、ウェストエンドで上演された新作のベスト・ミュージカルとしてローレンス・オリヴィエ賞を受賞した。そう、結論は、「フランキーは決して消えていなかった」のである。

 フランキーのことを忘れている人は、間違いなく史上最も人気があって、高い評価を得たテレビ・シリーズ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」を見たことがない人だ。フォー・シーズンズの曲はその番組の中で、時にはクレジットが映し出される際に聞くことができた。番組の登場人物はしばしば「フランキー・ヴァリ」に対する賛美を滔々と語った。トニー・ソプラノは、フランキーと同じ花屋を利用していることを自慢していた。そして、フランキー自身も、ギャングのラスティ・ミリオの役で、ラスティが弾丸の嵐を受けて非業の死を遂げるまで、「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」のシーズン5および6の中でゲスト出演している。

 フランキーの経歴を考えると、ロックの殿堂よりもラスティのような最後を迎えなかったのが不思議だ。1934年5月3日フランシス・カステルッチオとして生まれた彼は、ニュージャージー州ニューアークの貧しい町にある公営住宅地、ステファン・クレーン・ビレッジで育った。「ジャージー・ボーイズ」の中で、フランキーの友人でフォー・シーズンズの仲間である、トミー・デヴィートの役がこう言っている。「お前が俺の近所の出身なら、将来の道は3つだ。軍隊に入るか、ギャングになるか、それともスターになるかだ。」早くから、フランキーは第三の道を選んだ。フランキーが7歳の時、彼の母親はフランク・シナトラを観にニューヨーク市のパラマウント劇場に彼を連れて行った。「僕はシナトラがステージに現れるのを見たんだ」とフランキーは振り返っている。「そして彼が照明に照らされる様は、まるで彼がオーラを身にまとっているようだったんだ。その時その場で僕は決心したんだ。僕もそうなる。シンガーとして成功してみせるってね。」

 状況が整っていてもそれは簡単なことではないのに、ニューアークでくすぶっていては状況が整うどころではない。のちにフォー・シーズンズのオリジナル・メンバーとなるトミー・デヴィートやニック・マッシの二人の仲間を含めて、フランキーの友人には下らない窃盗の罪で服役している者もいた。気をつけていないと、「車のトランクに押し込まれておしまいという可能性もあった」とフランキーは語っている。

 幸いなことに、フランキーの友人は、曲を作ることが刑務所や車のトランクから脱出する絶好の道だと言うことに気づいた。50年代前半、デヴィートはバラエティー・トリオというグループを結成し、ある夜彼は若いフランキーをステージに上げて「I Can’t Give You Anything But Love」を歌わせた。たちまちフランキーは、天使の歌声を持っているシンガーとしてその界隈で名が知られるようになった。1953年、彼は音楽出版社のポール・カップの目に止まった。ポールはコロナ・レーベルでフランキーが初めてのレコード「My Mother’s Eyes」を作るのに一役買った。カステルッチオという名前が「スターにしては少し長い」(「ジャージー・ボーイズ」の中で彼のガールフレンドがそのようにからかっている)と悟った彼は、友人で仲間の演奏者であるテキサス・ジーン・ヴァレイに名を借りて自らフランキー・ヴァレイと改名した(のちにヴァリとイタリア風にした)。「My Mother’s Eyes」は地元では少しヒットしたが、ニューアーク以外では跡形もなく消えた。

 少し世間の注目を浴び始めたのは、1956年、フランキーがトミーと彼の兄弟ニック・デヴィート、そしてハンク・マジェウスキーと一緒にフォー・ラバーズというグループを結成した頃だ。彼らは、オーティス・ブラックウェルの作品「You’re the Apple of My Eye」で少しヒットを飛ばした。オーティスは、エルビス・プレスリーに「Don’t Be Cruel」も書いている。フォー・ラバーズも「Joyride」というアルバムを制作し、エド・サリヴァン・ショーに出演している。しかし、この控えめな成功も長くは続かず、フランキーはもう1つの働き口である理容師も続けていた。

 1959年になって初めて、当時は3人組(フランキー、トミー、ニック・マッシ)のフォー・ラバーズが大きなブレイクを掴み始めた。まず、ジョー・ペシという友人(そう、信じられないことに、のちにオスカーを受賞する、俳優の道に進んだジョー・ペシと同一人物である)がフォー・ラバーズを、ピアニストで作曲家の鬼才でロイヤル・ティーンズの元メンバーであるボブ・ゴーディオに紹介した。彼は大ヒットした「Short Shorts」を共作していたが、その後ロイヤル・ティーンズは無名の状態に戻った。ゴーディオを迎え入れた後、フォー・ラバーズは再び4人編成となり、黄金の耳を持つ輝かしい作詞家兼プロデューサーのボブ・クリュー(彼が手がけたものにはすでにザ・レイズの「Silhouettes」が含まれていた)と共に制作を開始した。その一方で、フォー・ラバーズはニュージャージー州ユニオンのボウリング場のカクテルラウンジで演奏するためのオーディションに落ちているが、彼らは「ザ・フォー・シーズンズ」というそのラウンジの名前は、グループにとってはしゃれた名前になるだろうと確信した。

 2年間自らのスタイルを貫きながら、フォー・シーズンズは、クリューが別の活動をする際にバックグラウンド・ヴォーカルを務めていた。1962年、ついにゴーディオはフランキーのバリトンからファルセットまでの驚異的な音域をフルに発揮した曲を思いついた。無名のフォー・シーズンズがアメリカン・バンドスタンドで「Sherry」を歌った時、彼らは突如として国内最高の人気バンドとなり、レコーディング・アーティストとして9年のキャリアを経たフランキー・ヴァリは、No.1のヒット曲で「一夜」にしてセンセーションを巻き起こした。「Sherry」のサウンドは、テレビやラジオで流れていた他のどの曲とも違っていた。フランキーが説明しているように、「多くのR&Bグループは、バック・コーラスのハーモニーの一部としてファルセットを使っていたけれど、僕たちは違っていた。ファルセットを前面に打ち出し、それを主役にしたんだ。」

 二度と一発屋で終わらないと心に決めたゴーディオはクリューと協力し、二人はフォー・シーズンズのために「Big Girls Don’t Cry」と「Walk Like a Man」という新たなNo.1ヒット2曲を即座に作曲した。ゴーディオとクリューは、ポップ・ミュージックの歴史の中で最も成功したソングライティング・チームの一つになった。同じ頃、ゴーディオはヴァリとも特別なパートナーシップを結んだ。ボブはソングライター兼プロデューサーとして稼いだ半分をフランキーに与え、フランキーはグループ外でのパフォーマンスで得たフランキーの稼ぎの半分をボブに与えることをお互いに握手をもって、約束した。このパートナーシップ関係はその後50年も続き、それはいまだに握手だけで結ばれているものだ。

 運命1964年に、あのブリティッシュ・インヴェイジョンが起こったが、フォー・シーズンズは立ち止まらなかった。ゴーディオとクリューというエンジンのすべてのシリンダーに火がついたそのグループは、「Dawn (Go Away)」、「Ronnie」、「Rag Doll」、「Save It For Me」、「Big Man in Town」、そして1965年前半には、「Bye Bye Baby (Baby, Goodbye)」と、次々とスマッシュ・ヒットを繰り出した。

 1965年後半から1967年にかけて、ゴーディオとクリューはフランキーがソロで歌う曲を作り始めた。それは、彼の有名なファルセットに頼らない大人向けの曲だった。グループのための作曲の大半は、デニー・ランデルとサンディー・リンザーのチームに引き継がれた。彼らは、「Let’s Hang On」、「Working My Way Back to You」、「Opus 17 (Don’t You Worry ’Bout Me)」という3つのメガ・ヒットを立て続けに生み出した。フォー・シーズンズもコール・ポーターによる往年のスタンダード曲「I’ve Got You Under My Skin」の素晴らしいリメイク曲でトップ10を賑わした。この時期のゴーディオがグループに最も貢献したのは、エンジェルスのペギー・ファリーナとの共作「Beggin’」であった。

 スタジオに戻ると、ゴーディオとクリューは、フランキーに独自性を与える曲をしきりに模索していた。いくつかの試みが失敗に終わった後、彼らはついに、フランキーをソロのスーパースターにする代表曲「Can’t Take My Eyes Off You」を作り出した。1967年にリリースされたこの曲は、Billboardで2位、Cashboxで1位を取った。オリジナル・レコードの人気と全てのカバー・バージョンのおかげで、「Can’t Take My Eyes Off You」は、ソングライターのロイヤリティーを徴収する2大会社の一つBMIの歴史上でもっとも多く演奏された曲トップ10のうちの一つとなった。

 「Can’t Take My Eyes Off You」に続いて、「I Make a Fool of Myself」と「To Give (the Reason I Live)」という2つのソロ・ヒット曲がトップ40に入った。しかし、ソロで成功したら、グループを離れて二度と帰って来ない多くのリード・シンガーとは違って、フランキーはフォー・シーズンズと共に過ごし、2つのキャリアで並行してヒットを生み出した。フランキーがソロで活躍している間、フォー・シーズンズは、「C’mon Marianne」、「Watch the Flowers Grow」、そして「Will You Love Me Tomorrow」のリメイクでトップ40に入り続けていた。

 1970年代前半、フォー・シーズンズはついに低迷期を迎えた。マッシとデヴィートはグループを離れ、演奏者の顔ぶれは変わっていった。しかし、ゴーディオがグループと一緒にツアーを行うことを止めている間、彼は曲を書き続け、フランキー・ヴァリは音楽業界のビッグネームの一人として名声を博し続けた。

 1975年、フランキーは、1位になった「My Eyes Adored You」や、「Swearin’ to God」、「Our Day Will Come」のカバーで再び脚光を浴びた。この大成功は、ゴーディオが新しいフォー・シーズンズを、もちろんフランキー率いるグループに再編成するきっかけとなった。のちに妻となるジュディ・パーカーと共に、ゴーディオは、「Who Loves You」と「December 1963 (Oh, What a Night)」を書き、2つともフォー・シーズンズ史上最大のヒット曲となった。この新しいブームは1978年に頂点を極め、同年フランキーがソロで歌った「Grease」は、映画のサウンドトラックで一度ならず二度も流され、当然の流れとしてBillboardのランキング1位を獲得した。

 1962年から1978年にかけて、フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズは、1億万枚を超えるレコードを売った。CDの発明によってフォー・シーズンズのコレクター達がヒット曲を買い直すきっかけになる前の話だ。彼らの全盛期から何十年間もフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズは、コンサートの集客力では絶えずトップを維持し、そしてラジオは、チャートを席巻し続けた新しいリミックスは言うに及ばず、絶えず彼らの不朽の名作を流し続けた。1990年、フランキーとその他のフォー・シーズンズのオリジナル・メンバー達がロックの殿堂に迎え入れられた。ロックの殿堂が創設されてからわずか5年後のことである。

 しかし、最初の40年が始まりに過ぎないこと、フランキー・ヴァリがニュー・アルバムを引っさげて、すべてソールドアウトした過密な海外コンサート・スケジュールを抱えて新世紀を迎えるなどと、誰が想像できただろうか?「ジャージー・ボーイズ」によってフランキー・ヴァリは、かつて他のどんなポップ・スターも手にしたことがない新たな命を授かった。2009年、「ジャージー・ボーイズ」は、オーストラリアのメルボルンで熱狂的に受け入れられ、その後オーストラリアのシドニー、それからニュージーランドに進出し、南半球を席巻した。その一方で、北半球に戻ると、2011年後半まで2つの異なるツアーが北米の都市で敢行され、また固定されたメンバーでブロードウェイ、ラスベガス、そしてロンドンで公演を続けた。マーティン・スコセッシの「ヒューゴの不思議な発明」の制作会社であるGKフィルムズ社は、「ジャージー・ボーイズ」の映画版を製作する権利を買った。ボブ・ゴーディオがプロデュースした大ヒットしたJersey Boys: Original Broadway Cast Recordingがミリオンセラーになったことを受けて、「ジャージー・ボーイズ」は、ブロードウェイのショーとして初めてホリデイ・アルバムをリリースすることになった。それもゴーディオがプロデュースしたもので、タイトルはSeasons Greetings: A Jersey Boys Christmasである。このアルバムは3つの大陸出身の「ジャージー・ボーイズ」キャスト・メンバーをフィーチャーしたものである。さらに、ボブの娘であるダニエレ・ゴーディオは、Jersey Babys: The Music of Frankie Valli and the Four Seasons for Kidsというアルバムでフランチャイズを展開することを考えた。このアルバムは、彼女の父、および彼女の父と「Romancing the ’60s」を共同製作し、25年以上にわたってフランキーのコンサートの音楽監督を務めていたロビー・ロビンソンの協力を得て彼女がプロデュースしたものである。Jersey Babysについては、ロビーは魔法のようにキーボードを駆使して、ハープからカズー、ペニー・ホイッスルに至るまで、あらゆるものを真似た音作りをして、フォー・シーズンズの音楽に楽しげな新しい趣向を生み出している。

 誰もが予想できるように、「ジャージー・ボーイズ」 によってフランキー・ヴァリの音楽が新しい世代に紹介されていくだろう。彼自身はペースを落とす気配を見せていない。「ジャージー・ボーイズ」の終わりに彼の配役が語っている。「テレビに出てくる電池で動くウサギの人形のように、僕はどんどん走り続けるだけさ。」

 彼が歌いたいと思う限り、みんなも聴きたいと思うだろう。

2011年12月末
チャールズ・アレクサンダー

チケット

東京公演チケットプレイガイド

料金(税込):S席 ¥12,800 / A席 ¥10,800 SOLD OUT!

2019年9月10日(火)・11日(水)
東京・昭和女子大学 人見記念講堂 開場 18:00 開演 19:00

キョードー東京 0570-550-799 WEBで購入
チケットぴあ 0570-02-9999
Pコード:155-185
WEBで購入
イープラス ファミリーマート店内(Famiポート) WEBで購入
ローソンチケット 0570-084-003
Lコード:73244(東京)
0570-000-407 (オペレーター)
ローソン、ミニストップ(店内Loppi)
WEBで購入
CNプレイガイド 0570-08-9999 WEBで購入
LINE チケット WEBで購入
RECOfan渋谷BEAM店 当店販売のみ(お問合せ:03-3463-0171)
営業時間:11:30〜21:00

大阪公演チケットプレイガイド

料金(税込):S席 ¥12,800 / A席 ¥10,800

2019年9月13日(金)
大阪・フェスティバルホール 開場 18:00 開演 19:00

チケットぴあ 0570-02-9999
Pコード:156-7248
WEBで購入
ローソンチケット 0570-084-003
Lコード:57266
WEBで購入
イープラス ファミリーマート店内(Famiポート) WEBで購入
CNプレイガイド 0570-08-9999 WEBで購入
LINE チケット WEBで購入

東京公演

主催:キョードー東京/キョードー東京インターナショナル/フジテレビジョン/朝日新聞社/ぴあ
後援:WOWOW/tvk/J-WAVE/TOKYO FM/InterFM897/文化放送/ニッポン放送
協力:ワーナーミュージック・ジャパン/NME JAPAN

大阪公演

主催:キョードー関西/キョードー東京/キョードー東京インターナショナル/FM COCOLO/朝日新聞社/ぴあ
協力:MBS/ワーナーミュージック・ジャパン/NME JAPAN

招聘・企画制作:キョードー東京インターナショナル